« ちょ・・・カンベンしてくれ('A`) | トップページ | え!?やだ! そんな太いの入らないッ! »

2008年5月12日 (月)

さようならお袋。

親孝行は親が生きてるうちにしろと良く言いますけれども、まさか自分がと思うと・・・

お袋が4/22(火)に亡くなりました。享年51歳でした。
急に居なくなってしまい、自分の生活にぽっかり穴が開いたよう。
ついこの前まで一緒に飯食って他愛の無い話をしてたのに、もう目の前には居ないんです、、、、

千葉に越してきて、そろそろ10年。
越して来た頃はお袋も元気に仕事していました。
流石は九州の女、男勝りな性格で「女だから」と言わせない様に仕事に励んでました。
実際、仕事振りはパワフルな物で各運送(配達)仕事や、重機(パワーシャベル、バックホウ等)を動かしたり、4tダンプ転がしてみたり、2種免許を取得してタクシー運転手をしたりと。とにかく車を動かすのが好きで車を動かす様な仕事ばかりしてたね。

所が、約5年前。
タクシー運転手を始めて1年ちょっとで、腰痛が酷くなり痛くて堪らないと言うので近くの国立の病院に行った所、「椎間板ヘルニア」と診断されて即入院。
1ヶ月ほど薬や牽引などを試してみたが改善が見られず、手術をすることに。
思えば、この時におじさんが同じ病気で手術を受けた病院行かせるべきでした。
お袋は、家から離れるのが嫌だと言うので承諾しましたが、はやり手術する場所が場所なので少しでも実績が眼に見える場所で手術して貰う事が成功率高いはず・・・
が、お袋の要望のまま入院した病院で手術を行いました。
手術前の説明では脊椎を圧迫している椎間板を2ヶ所切除。手術は2時間位で終了と聞かされていましたが、3時間経っても終わらず結局4時間近くかかり(その間家族に連絡無し)、術後の説明では左足に麻痺がみられるが、これは脊椎の裏側のヘルニアを取る為、脊椎をずらして取ったので一時的な物です。直りますと。
手術が長くなったのは、お袋の生理が始まった為予想以上に出血が激しかった為と。
家族に連絡をくれなかったのは、手術の時間が延びるコトは基本的に逐一連絡しない。連絡するくらいならば、手術に専念して出来る限り速く終わらせる為と。
そんな話は手術をする前に事前に話しておかなければ、心配するのが家族だろう。


確かに、手術後のヘルニアの痛みは30%ほど残ると言われたが、殆ど変わらずか若しくはもっと酷くなり、ましては左足の麻痺は全然直らず。
それでもお袋は根気良くリハビリしたり、とても痛い神経根ブロックをしたりと、2年近く入院して治療を続けたが、悪くなったまま。
その間その手術をした病院と、何度も話し合いをしたが結局病院側は比を認めず。
県議会員さんや、弁護士に相談してみたがやはり「病院」相手では勝てる見込みは無いらしい。金と時間を掛ければ勝てるかもしれないが、うちの財政ではとても無理。悲しいけども裁判ざたにしても金が掛かりすぎて非現実的。
結局、障害者認定等級を3級→2級にしてはぐらかされた感がぬぐえない。

悔しい、凄く悔しい。
人の命を預かる病院が、なぜにここまで隠し事するのか。
あの回答が全てとは到底思えない。
密室の中で行われている事は、向こうでなんとでも口裏合わせられる。
こちらは知る術が無い。
実際、医者の言うことは一般人には難解で専門用語を並び立て、はぐらかされる感ありで、医療事故は起こしてるは、カルテ開示したら記述に嘘や抜け、書き換えはあるわで、これをどう信用しろと?

お袋も亡くなったし、担当の先生も逃げちゃったから、別に病院とのやり取りUPしてもかまわないよね。
やましいコトがなければ意に介さない訳だし。

「byouinhanasi.lzh」をダウンロード

ツテで静岡の先生を紹介して貰い、脊椎に電極を設置し、お腹に電池のバッテリーを入れて、電気刺激で痛みを緩和させる治療を行った。
最初の治療では効きが良く、退院してから退院祝いで瑞江に住んでいた頃、良く行ってた焼き肉屋へ行った。火葬場の側に車を停めて店まで歩いて行ったが、肩を貸してだがゆっくり自分の足で歩けてて、あの笑顔が凄く印象に残っている。
が、痛みが緩和されたのはほんの少しの間で、また痛みが出てきて結局5回ほど電極を入れなおしたり、坐骨神経の治療でリジョウキンと言うお尻の筋肉を切る手術をしたが、あまり変わらず。
最新の電極を入れても痛みは緩和されず、結局薬でなんとかしようと強い痛み止め「モルヒネ」系の薬を飲む様になった。
モルヒネと言うとガンの末期患者に処方するような、強い薬。
素人でも体に良く無い事が解る。
痛みは和らぐが、倦怠感、吐き気が酷くなり、食欲は無くなるし食べてももどす。
もどしすぎると脱水症状になったり、もどす事で筋力を動かす為のカリウムが不足する。
自律神経で動いている心臓などの臓器もカリウムを必要とするので、カリウムが不足すると最悪心臓疾患で死亡する事もあるらしい。
実際、お袋もなんか息が切れる、胸が苦しい、めまいがすると検査をしたら上記の通りでもう少しほっておいたら心臓麻痺になる寸前だったらしい。そこで1週間ほど入院した。
その後足がもつれて転んでしまい、頚椎骨折で1ヶ月入院したり・・・
本当に、なんでお袋ばかりこんな目に合うんだろう・・・・
家族の不幸を一身に背負ってる様な・・・・


桜も散る昨今。
暖かくなったら「神の手」を持っている先生が新しく千葉に病院を作ったのでそこに行こうね。
と言って、病院にも連絡して「連れてきてください」と言われてお袋も「ウン」って言ってたのに・・・
本当に急に居なくなってしまった・・・・
仕事から帰って来て、ベットに寝ていたお袋を見るだけでも、違うんだよね・・・・
帰って来て「今日は調子どう?ゴハン食べた?」とか他愛の無い会話なんだけど。

お袋は、とにかく自分の事は二の次で、絶えず他人に気を配る人だったな。
痛みは本人にしか解らないので、オレには解りようは無いが、とてつもなく痛い時は、泣きながら脛を木つちで叩いていたが、それ以外は殆ど弱音を吐かなかった。
ガマンにガマンを重ね、夜中に病院へ痛み止めの注射を打ちに連れて行ってくれとたまに言われて連れて行ったコトもあったけど、相当ガマンしてたようだった。
オレや親父に心配掛けさせないようとしてたんだね。
家族なんだから、痛い時、辛い時、苦しい時はもっと言ってくれれば良かったのに。
言う事でも少しは紛れたかもしれないのに、、、、

そりゃぁ、たまに弱音を言う事もあった。
気持ちは痛いほど解る。が痛みは変わってあげられない、、、痛みと常に戦ってるお袋に「頑張れ」なんて気安く言えない。
痛みで寝れないお袋に「お休みなさい」と言えない。
もどかしい。歯がゆい。
何もして上げれないけども、それでも、もっと弱音を言って欲しかった・・・・・・

お袋が病院に運ばれて心臓マッサージを受けてる姿、一生忘れないだろう。
先生が一所懸命心臓マッサージをしてくれてたのだが、止めると電子音が「ピー」って言うんだ。TVでやってるアレ。
親父が勤め先から戻ってくる2時間の間、ずーっとやってくれてた。
それなりに知識があったので、心停止から5分位で蘇生しなければ脳に甚大なるダメージがあり、息を吹き返しても最悪植物状態。脳死状態。
泣きながらお袋の手を握って、呆然と覚悟を決めてた。

4/22日 7:18分

親父が病院に到着して、心臓マッサージしてくださった先生から、ご臨終と告げられた。
ああ、お袋死んじゃったんだな・・・

それから、お通夜、葬式。
何分始めての事なのでどうしたら良いかさっぱり解らない。
しかし、オレしか動ける人間は居ない。
生前、お袋から「お前がしっかりしなさい」と言われてたのを思い出してた。
幸い、同じ千葉県内にお袋の兄さん夫婦が住んでいたので、アドバイスを貰いながら事を進めた。
病気になってから、お袋は「死んだら海に撒いてくれ」と言っていたが、流石にそうも行かないだろう、、、あんだけ苦しんだんだから最後の最後位式をあげてやりたいと。
亡くなったのは4/22日だったが、市の火葬場の関係上24日が通夜、25日が告別式となった。
それからは、あっというまだった。
ぶっちゃけ、オヤジがこういうコトに不慣れと言うか頼りないので(家庭内の事をすべて任妻に任せてるとこんな感じになっちゃうんだろうけども)、とにかく、お袋から「お前がしっかりしなさい」と言われていたので、式が終わるまでは決して泣かなかった、、、泣かないつもりだった。笑顔で送りたかった。
田舎からは、ばあちゃん、お袋の姉さんが駆けつけてくれた。
オレが小さい頃から知ってる、お袋の友人も駆けつけてくれた。
お袋がタクシー運転手を始めて仲良くなった仕事仲間、病気で辞めてからも家族ぐるみなお付き合いをしてくれた人達も駆けつけてくれた。
オレの20年来の友達も駆けつけてくれた。
おやじの会社関係も駆けつけてくれた。
近所の人達も駆けつけてくれた。
人一人が亡くなって、ここまで人が来るものかと思った。

通夜が終わり、その日はお袋と一緒に式場に泊まった。
長い間お袋の顔を見ながら昔話をした。
何故か、怒られた事ばかりが先に出てきた。楽しい事も沢山あったはずなのに。
涙が止まらなかった。

翌日。告別式。
お袋と最後のお別れ。
親族とごく親しい友人のみで行った。
式が終わるまでは泣くものか。笑顔で送ってやるんだと心に決めてたのに、最後のお別れとの事で、張ってた気が保てなかった。
泣いた。人目はばからず泣いた。立ってられなかった。

本当にごめん

泣きながらお袋に謝った。
オレ、親孝行したのだろうか。
世間一般的に言えば、オレ位の歳になれば家庭を持って子供が居ても可笑しくない歳。
孫を見せられなかったのが一番の親不孝だろうか。
親戚のねえさんの娘がうちに遊びに来ると、孫でも来るような感じで、スーパーへ連れて行ってくれと言われて、そこで沢山お菓子買ったりしてたね。やっぱり孫の顔見たかったんだろうなぁ
自分で出来る範囲では親孝行したつもりだったが、まだまだ足りて無いよ。したり足り無いよ。

ごめん、本当にごめん。
でも、5年間本当に頑張ったよね、、、お疲れ様。そして今まで有難う。

式が終わり、出棺。
お袋の棺に花を沢山添えて、本当にお袋の人としての形として見るのはこれで最後。
花は泣きながら、そして微笑みながら添えてあげた。
お袋の顔は、亡くなった当時から笑ってる様に見えた。
きっと、長年の痛みからようやく解放されて嬉しがってるのだろう。と思いたい。
蓋にクギを打って、出棺。火葬場へ。
人って焼くのに1時間ほど掛かるそうだ。

1時間後、お袋は焼け焦げた臭いと共に灰と骨だけになった。

お袋が体に埋め込んでいた電極のバッテリーが、焼け残ってた。
骨壷に入れた。
女性にしては大きい方のお袋が、こんな小さい骨壷に納まっちゃった・・・・

ああ、、本当にお袋亡くなったんだな。
あっというまに葬式が終わった。

その夜。お袋の幼馴染の女性と電話で話した。
お袋が生前良く電話やメールをして、ずっと励ましたり応援してくれてた人。
オレ自体もかなり小さい頃会ってるらしい。

お袋の友人「お母さんね、たむぞうちゃんが「オレを産んでくれて有難う」って言ってくれたのが凄く嬉しかったと言ってたよ」

、、、、、、、
オレそんな事言ったんだ、、、、、
言った本人覚えて無いのに、お袋は覚えてるのか、、、、、
涙が出た。

その後、イロイロな昔話をしてくれた。
そんな事もあったんだ、そんな話までしてたんだ!など。
そんな話を聞いてオレが笑うと、「お袋の笑い方にそっくりだ」と。
全然意識してないけど、親子は似るのか、、、、、

今、お袋が亡くなって1週間。
病床に臥して居ながらもお袋が家の金銭関係の事すべてやっていたので、ちんぷんかんぷん。
家中ひっくり返して、まず我が家の家計状況がどうなってるか調べて親父に報告。
親父はオレにすべて任せると言ってくれたので、オレも協力する。
お袋の墓も買ってあげなければならないし、これから何が起こるか解らないので無駄使いは出来ないな・・・・
また、お袋が障害者認定を受けていた事もあり、亡くなった後の役所関係の手続きその他が沢山ある。
お袋が生活圏内から居なくなり、正直吹っ切れてないが家に居ると気が滅入るので、役所回りなどであちこち外に行けると気が紛れる、、、かな?
会社の人達には申し訳無いが、まだ落ち着かない・・・

だって、日中一人で家に居てお袋に身辺整理してたりすると、お袋の使っていたモノや、メモが出てくると昔の思い出が急に思い浮かんだり、車で外に出て信号待ちしている間に急に、お袋が心臓マッサージ受けてる姿が脳裏に浮かんだり、病院に行くつもりで何時も曲がる道を曲がらず、いつの間にかに違う道を走って大分過ぎたとこで気付いたり、、、、、
買い物に行けば、あれが欲しいこれが欲しいとか言ってたな・・・ああ、そこに座って熊本への航空券とってやったっけ・・・ふとした拍子に当時の出来事が目の前に浮かぶんだよね・・・・

GW休みもあると言うことで一応、5/11日まで休みを頂いた。
本当に感謝しております。ご迷惑掛けて申し訳ありません。

しかし、人間いつかは通る道とは言うけれども、こんなに早く来るとは思いもしなかった。
これからは親父と二人でお袋の分まで頑張っていくよ。
親父にはお袋の代わりに長生きして欲しい。
葬式終わって、夕食を食べてたらオヤジが飯を食べながらタバコを吸いながら酒を飲んでたら、変なトコに酒が入って凄くむせて苦しんでいた。
酒で赤くなってた顔が真っ青になった。
流石にお袋が逝った直後なので、親父のあんな姿を見て動転した。
お袋の姉さんはこういう光景を見たことがあるらしく、「変なトコに入ったんだね。それ凄く苦しいよね」と心配してくれた。
幸い、なんともなく安心した。

お袋が生きている時も何度か目にしてたので、お袋に約束させた。

たばこは控えめに、酒も控えめに。
ゴハンを食べてる時はタバコは吸わない。食べ終わってから吸うこと。

だって、あんな苦しがって青い顔してたのに、むせてる間中左手に火の付いたタバコ持ったまんまだったのよ・・・バカじゃないの?お袋にも言われてたじゃない
「そんなに苦しいならタバコ辞めなさいよ!」と。

お袋に誓ってくれたからか、最近は食べている最中は、タバコは吸わなくなった。
酒もビール350mlと焼酎1杯だけ。

オレはお袋に性格が似ているので、解ってると思うけど言い方はちょっとキツ目かもしれないけど、心配して言ってるんだからねと。

親父からもオレに対して約束してくれと言われてたが、正直守れる気がしない。
オレは約束させたのに、親父の約束は守れないとはなんとも虫が良すぎる話か。

親父の約束ってのは
「早く結婚して孫の姿見せろ」と言うのが約束なんだけど
そればっかりは、、、ねぇ。


お袋頑張ったよ。
この5年間、普通に立って、普通に働いて、普通に料理したり洗濯したいって言ってたのが、叶わなくて非常に残念だった。
何が一番悔しいって言ったら、なぜに一番苦労しなくて良いヒトが一番苦労したのかと。
あと、親孝行が出来なかったと言うこと。
最初の病院の連中に非があるかどうかさえも解らないこと。

お袋言ってた。
「他人に悪いことや嫌な事をする人は、回りまわって自分に跳ね返ってくるんだよ。逆に他人に優しくしたら、回りまわっていつか自分にも優しくして貰えるんだよ」
と。

お袋は地でそう言う人だったな・・・
悪口は言わず、常に他人の事を考える人だった。
お陰で病人なのに、他の病人や知り合いの悩み事とか良く聞いてたもんな・・・
お袋と関わりあった人と話すと、みんながみんな同じ事言うよ。

オレもお袋みたいになれたらとは思うけども、、、、、
根底にはお袋の教えがあると思いたい。


今まで本当に頑張ったよね。そしてお疲れ様。
向こうでは今まで動けなかった分、いろんなことが出来ると良いね。


お袋が亡くなってそろそろ3週間。早いモノです。
休ませて貰い、大分落ち着いて来ました。自分自身の気持ちもそうだし、身の回りの事もそう。
しかし、痛感したよ。
昔から良く言われてたし、本やTVで言ってわれてた事って根拠があっての事なんだよね・・
昔から何人もの人がこう言う思いをして、残してった話や言葉がここまで重いモノとは・・・
無くして初めて解る事って残酷だよね。なにもこんな風に知りたくも無かったんだけども。

あまりクヨクヨしてもお袋も喜ばないだろうから、週初めからは気持ちを切り替えて行こうと思う。

|

« ちょ・・・カンベンしてくれ('A`) | トップページ | え!?やだ! そんな太いの入らないッ! »

「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

こんばんわ

先日はご連絡頂いて本当にありがとうございました。
お陰で最後にお会いできたので非常に感謝しております。

たむさんのおばさんには生前、本当にお世話になり、それのお礼がいえなかった事が
今となっては非常に残念で成りません。
ただ、最後のおばさんの顔が非常に安らかだったことだけが私にとっては本当に唯一
の救いだったような気がします。

本当はこういう場で書くことではないと思うのですが、たむさんの書かれている事や
今までお伺いしていたお話など、私が言うのも何なのですがたむさんは親孝行者だっ
たと思います。

それは誰よりもおばさんが一番分かっていると思います。

確かに肉親の体調が悪くなったり、何かの不幸で五体が満足でなくなってしまった
場合に看病をしたりする事自体が=親孝行と言う場合もあるとは思いますがそれ
だけではなく、そうなってしまった肉親をどう思うか、そしてどのような行動を起
こすかと言うのが大切で、そういう想い、行動全てが「親孝行」と言うものなので
は無いかと私は思います。

この世の中にどれだけの「十分」があるかは分かりませんが、私の知る限りたむさん
はおばさんの為に十分考え、十分行動をされたのだと思います。
だから余り思いつめられる事が無いようにしてください。

なんか安っぽい文章になってしまって申し訳ありませんが、今、私が書ける精一杯の
文章なのでお気に触る点は何卒ご了承ください。

この場をお借りして恐縮ですが、お通夜でちゃんと言えなかったので、おばさんに
一言書かせていただきます。

おばさん
約20年間、色々とお世話になって本当にありがとうございました。
今は今まで出来なかった分、ゆっくりと、そして今まで出来なかった分、向こうで
色々楽しんでください。

本当にありがとうございました。

投稿: デカ★貴族 | 2008年5月13日 (火) 00時18分

お通夜、おばさんまで来て頂きお袋も喜んでたと思います。
ありがとうございました。

>おばさんの為に十分考え、十分行動をされたのだと思います。

ありがとう。
だと良いんだけどね^^


>だから余り思いつめられる事が無いようにしてください。

もう少しやりようがあったかとは思うけども、オヤジとも話したけども、後悔ばっかりしててもしょうがないものね。
普段通りにしてた方がお袋も心配しないだろうから、もう大丈夫。
今後も変わらぬ付き合い宜しくです^^

そう言えば、お袋の遺品整理してたらさ、幼稚園の卒園アルバム出てきたのよ。
デカさんがオレと同じ幼稚園だったっての、この前初めて知って調べてみたら、デカさんハッケソw
あんま変わってねぇwww
変わったのは大きさだけだwwww

ちょっと笑ってしまいましたw

投稿: たむぞう(管理人) | 2008年5月13日 (火) 10時54分

心よりお悔やみ申し上げます。

私も2年前に父を亡くしましたので、今回の記事を読んで当時が思い出されました・・・葬儀やその後の手続き、そして何よりも家庭内や心の整理、大変だったかと思います。というか、まだまだ整理つきませんよね。

私の場合、近しい者が亡くなって初めて仏事の意味や有難味が本当の意味で判りました。

改めて明日への一歩、思い出や喪失感やいろいろな気持ちで簡単に整理つくものではないと思いますが、まずはゆっくり踏み出してください。余裕が出来たら、また、あちらでお会いしましょう。

投稿: Winlong | 2008年5月13日 (火) 22時32分

●うぃんさん

お気遣いありがとうございます。
あれから日にちも経って、大分整理がつきました。
普段通りにしてるのがお袋にとっても、自分にとっても一番だろうから、落ち込んだりはしないですよ^^
手続き関係はもう少しありそうですけども、七/七日が終われば本当の意味での一段落でしょうか。

>近しい者が亡くなって初めて仏事の意味や有難味が本当の意味で判りました。

解ります。同じく思いました。
何事も無い時はせいぜい「困った時の神頼み」程度なんですけどね。逆に本当にこういう時で無いと皮肉にもありがたみって解らないですよね。


>出来たら、また、あちらでお会いしましょう。
昨日は失礼しました。
なんか最近起きてられないんですよね^^;
もう11時位になるとまぶたが重く(汗

久しぶりにinしたら勲章剥奪の危機でしたので、しばらくカンパニエで戦績貯めてますw

投稿: たむぞう(管理人) | 2008年5月14日 (水) 08時52分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« ちょ・・・カンベンしてくれ('A`) | トップページ | え!?やだ! そんな太いの入らないッ! »